靖国問題

2015年1月21日

2005-05-16

今日は自分らしくないことを書きます、宗教です。
小泉総理になって以来、靖国神社の参拝がとかく問題視され、
最近では中国や韓国にとって、最もけしからんことのひとつのようです。
じゃあ、参拝さえしなければいいのか?
そうじゃなくて、それが最もわかりやすく攻撃しやすいことなのでしょう。

さて、今日書きたいのは日中や日韓のことよりも、
靖国神社、また他の神社(神道)、仏教に我々が何を感じているのかということです。

キリスト教の国、イスラムの国、仏教の国というのがあります。
ヒンズー教、その他いろいろあります、複数の宗教で複雑な国家もあります。

我々はなんでしょう?
初詣、お宮参り、節供、七五三、お盆、法要、葬式
お寺の事(仏式)と神道、中国から伝わったことがミックスされています。
一般的な日本人は宗教に対しまったく原理主義的でないのです。

そこで、神道です。
これは、日本独自で、アミニズムから発したともいわれます。
八百万の神。
物事を動かす目に見えない(理解できない)力には神が宿るのです。
山や大木、石にも神が宿ります。
狐も神様です。

そして、日本人が行った最高傑作は、外来の仏教とその神道を合体させて、
なおかつ、共存させたのです。
宗教同士は普通対立します。日本の仏教(鎌倉仏教)でも、
日蓮宗と浄土宗は対立します。
でも、神道が仏教はいかんとか、仏教が神道はいかんとかは基本的にないのです。

明治に入り「国家神道」になりました。
日本のイデオロギーが神道になったのです。天皇家も神道になりました。
江戸時代までは天皇家も仏式の葬式だったそうです。
靖国はその「国家神道」の神社です。

われわれは何をどうとらえたら良いのでしょう?
これは私ごときが答えを出せません。

ただ、偉大な人も勘違いをしていると思うのでそれをあげます。
司馬遼太郎は明治を賛美し、昭和の、戦前の十数年日本人がおかしくなったと書いています。
でも、それまで1000年続いた天皇と政権の二重構造(後醍醐は除く)を排し、
仏教と神道との並立を排し(仏教が弾圧されたわけではない)、
日本人のもつバランスを欠く体制に原因はなかったのでしょうか?

明治というのは、日本を近代化させる最良の道を選んだけど、
それは理想的でもなんでもなく、打算も歪みもあったんだと。
違いますかね。

(Hatena::Diaryより転載)