沢村貞子

2014年10月16日

これまで何度かふれてきた沢村貞子に関する本を読みました。
「沢村貞子 波瀾の生涯」 中島信吾 著  岩波書店
そして、すこし理解を深め、また、疑問が残りました。

沢村貞子は明治41年生まれ、浅草出身です。
お父さんは好きが高じて役者に転職までした人で、子供も役者にしようとします。
それが貞子の兄、沢村国太郎と弟、加東大介です。

お兄さんの沢村国太郎の息子が、長門裕之、津川雅彦です。つまり沢村貞子と加東大介からみると甥です。そういえばな、んとなく長門裕之と加東大介は面影が似ています。

役者一家という感じです、ところが貞子が子供の頃には「女が役者なんか」という時代で、兄や弟とは違って役者の修行をさせてもらえませんでした。

進学も親の反対を受けます、それでも貞子は大学に入学するのですが、その後劇団に入団、役者の道を進みます。ところが入った劇団が「アカ」(左翼)ということで、大学を中退、ついには逮捕、投獄されます。

出所後、最初の結婚をします。しかし、戦後間もない頃、生涯を共にすることになる、大橋氏と出会い本人は離婚、同棲、苦労の上大橋氏と結婚します。

大橋氏と出会った頃の夫が藤原釜足のはずなのですが、彼の名前は全く出てきません。
釜足とは10年間夫婦で、その間は映画に共演したりもしています。どういう夫婦だったのか興味があります。戦後はやはり共演が無いようです、あるのかも知れません。調べてみます。

大橋氏とは正式な夫婦になるまで20年待たされています、それだに幸せな夫婦だったようです。

加東大介とはとても仲が良かったようです。共演も多いです。
面白いことに「社長漫遊記」では夫婦役です。

晩年は役者を引退し、エッセイを書きながら夫と葉山のマンションで過ごし、1996年(平成8年)、2年前に亡くなった夫を追うように生涯を閉じます。

無神仏主義で、遺骨は夫と共に相模湾に散骨されています。
今でもすごいと思える人生ですから、時代を考えると大変なものです。
それでも、どの写真もやわらかく優しい顔をしています。
きっと素晴らしい人物だったのでしょう。

(Hatena::Diaryより転載)