昔のメディア王

2015年1月22日

楽天のTBS買収が話題のこの頃ですが、映画会社に関わる昔のの経営者3人の話を書きます。三木谷さんや堀江さんとどう違うのでしょう。

1.小林一三(こばやしいちぞう)
阪急の創設者です。明治8年生まれ、慶應大学卒業後一度は金融界に入ります。その後鉄道事業に進出し、路線の開発を含めた事業を展開します。中心の鉄道が阪急電鉄で、開発事業のなかに百貨店、不動産、娯楽施設などがあります。その中で宝塚温泉を開発しそこで演じる劇団「宝塚少女歌唱団」を生みました。後の宝塚歌劇団と東宝の前身です。
今のオリックスバファローズの前身、阪急フレーブスは小林の作った球団です。

2.五島慶太(ごとうけいた)
明治15年生まれ、東急の創始者です。上記の小林の影響を強く受けていて、事業の展開には似たところがあります。非常に強引な買収で事業展開したそうです。
東映の創立には東急が関わっています。1947年にセネタースという球団を買収し東急フライヤーズとします。1954年には東映フライヤーズとなります。

3.永田雅一(ながたまさいち)
この人はこのブログで何回も書いていますが、戦後の大映のワンマンです。あまりきれいとはいえない感じで大映の経営を手中に収めたようです。
先に書いた二人のような事業家ではなく、映画の人なのですが、プロ野球の球団所有には情熱をもっていました。
ノンプロの大映球団から、東急と合同し急映フライヤーズとなりますが、一年で金星スターズという別の球団を買収し、大映スターズとなります。
その後大映ユニオンズ→大毎オリオンズになります。

三者とも映画会社を所有し、野球球団を所有しました。
大映は今は球団も映画会社もありません。他の2球団も、鉄道事業の経営不振から球団は手放しています。東急と東映は1960年に資本を別けグループを清算しています。
成功した経営者の夢の実現のようなメディア王、球団経営ですが、どれも一時のパッションのようになっています。

平成のメディア王、球団経営はこの後どうなるのでしょう。

(Hatena::Diaryより転載)