モラトリアムと「つばさ」

2015年7月3日

旧 8月12日 先勝

亀井大臣の推進している「モラトリアム」が話題です。
モラトリアムは猶予という意味で、金融の返済の猶予を指します。
私に馴染のあるのは、大人になる前の猶予という使い方のモラトリアムです。
活字や映像の世界でもよくテーマになります。

NHKの連続テレビ小説「つばさ」が先週で終了しました。
中期以降週を重ねるごとに、退屈で暗いドラマになってしまいました。
なぜか、考えます。

このドラマでは、
週替わりで、家族や周りの人間がそれぞれ壁にぶつかり、それを破ってゆきます。
その手助けに主人公「つばさ」(多部未華子)が関与します。
壁を越えて成長するのは良いのですが、みんなが角のとれた無難なキャラクターになってしまいました。
セリフもそれぞれが悟ったようなことを上から目線で話す、これは耐えられなかった…。

人間そんなものじゃないと思うのですよね、
ダメなやつはやっぱりダメ。でもそれなりに成長する。
個人と個人の間には解り合える部分とそうじゃない部分があり、
変らない(変えちゃいけない)関係が存在する。
じゃないとつまらないです、だからつまらなくなった。
立上がり当初は、久世光彦さんのドラマのような雰囲気を期待していたのですが、奥行が浅かったみたいです。

家出した母親「加乃子」(高畑淳子)が戻ってきて、自分と家族を見つめ直してゆく。
彼女のモラトリアムです。
結局、加乃子の話で終ってしまっているのです。
「男はつらいよ」の寅さんは何度更正しようと試みても、モラトリアムのままでした。
それを描き続けたからマンネリだけど新鮮な映画だったのですね。
山田監督は偉大です。

Miércoles, treinta de septiembre 2009

(Hatena::Diaryより転載)