役者に合わせるか、役に合わせるか

2015年1月15日

市川雷蔵についての本を読んでいたら、こんなことがかいてありました。「勝新は何をやっても勝新、錦之助(萬家、中村)も錦之助だが、雷蔵は違う。長谷川一夫もはやり、いつも長谷川一夫だ。」

確かにそうです。津川雅彦なんか典型でしょう。丹波哲郎とか志村喬とか数え上げればきりがないけど役よりもその人の個性を反映させる演出の方が向く役者さんが多いと思います。
最近の映画では、その役者の個性に合わせて、脚本、演出を書いて一丁あがりで、役者が苦労しなくて良い場合もあるようです。

さてその本の文章には続きがあって、「女優はそうでは無い場合が多々あり、山本富士子などいくつもの顔を演じわけている、ところが、吉永小百合はいつでも吉永小百合だ。現代の俳優の典型は高倉健と吉永小百合かもしれない。」

うーん、おもしろい視点ですね。そう考えると市川雷蔵をもっと研究しなくてはいけません。
私が、よく観る役者はどっちのタイプかも分析してみましょう。

(Hatena::Diaryより転載)