「社会・生活」カテゴリーアーカイブ

ソースと著作権

今日は遅くて疲れているので映画の話はなしです。

私の映画のソースは主にケーブルテレビの「衛星劇場」と「日本映画専門チャンネル」です。
DVD買ったりもしますが、いかんせん高すぎます。それにでているものに偏りがありますね。

そんなこと書いててふと思ったのですが。あの高いDVDの著作権ってどうなって、誰に印税が入るのでしょう。製作会社?監督?プロデューサー?出演者?

そもそも当事者がいないことも多いし、不思議です。

おそらく役者さんはその時のギャランティーで終わりでしょうね。

でも私らは、映像に残った姿を観て喜んでいるのだから、なにかしらのバックがあってもいいと思います。

まあそんなに買っていないので言えたものではないですが、たわごとです。

(Hatena::Diaryより転載)

60年代

1960年代がどういう頃かいろいろ見方があると思うのですが。
経済面で見ると、高度経済成長、所得倍増計画に沸き、
実際は60年代の間にGNP、国民所得年率10%以上の成長で推移し、
10年間で4倍ぐらいの拡大をしています。

しかしオリンピックの終わった65年ごろから不景気か顕在化し、
73年にオイルショックをむかえ高度経済成長時代は終焉します。

所得が上がるにつれ、三種の神器(3C=カラーテレビ、カー、クーラー)や
マイホームを追いかけ物価も上がり続けます。
この時代を堺に多くの日本人の価値観が、お金で買えるものを追い求めるようになっていった気がします。

それはさておき、今日も大映で一本

「六人の女を殺した男」 1965年 大映
フランキー堺扮する画家の周りに集まる女性が、次々と死んでゆくストーリーです。
大映のスターの一人、藤村志保もでています、かわいいです。やっぱり和服が似合います。

初めはハプニング(ラッキー)だったものが、次第に人の手を借り、自分で殺しをおこなってしまう、そんな人間の複雑さをうまく出しています。
岸田今日子は例によって不気味なキャラクターです、すこしかわいそうだけど。

ひとつ不満なのはラストが少ししつこいんです、これは好き嫌いあるのでしょうが。

(Hatena::Diaryより転載)

核戦争

北朝鮮が核開発をしているといわれていても、普段我々はさしせまった核戦争への恐怖は感じていないのではないでしょうか、少なくとも私は恐怖を常に感じているということはありません。
どこかが一発発射したら世界が終わりなんだから、そんな馬鹿なことをするわけがないという考えと、皆死ぬなら自分だけ助かる必要もないという考えです。冷戦時代の、核の傘に守られてきた者の考え方でしょう。

「生きものの記録」 1955年 東宝
黒澤明監督映画です。ある工場の社長(三船敏郎)が核の恐怖から全財産をかけてブラジルに移民しようとします。それをしった家族が彼を禁治産者にしようと、弁護士(志村喬)に依頼します。
今の時代では、ちょっと滑稽な気もしますが、戦後15年しか経っていないその頃は、戦争の恐怖、他人に殺される恐怖が人々の間に残っていたのだと思います。

実際の核戦争を日本人の庶民の立場から描いたのが
「世界大戦争」 1961年 東宝
フランキー堺演じるタクシー運転手、コツコツとつつましく生きてきてささやかな幸せを感じていますが…。
この映画のラストはストーリーとしてちょっと想像以上でした。もちろん特撮的には楽しめるものがあります。

(Hatena::Diaryより転載)

東京の風景

「続・若い季節」 1964年 東宝
一昨日書いた「若い季節」の続編です。社長シリーズなどの続編は本編の半年後に上映されるのが普通ですが、この作品は前作から約1年半経っています。
キャストも大幅に変わり、クレージーのメンバーも、谷啓、植木等、桜井センリがチョイ役で出てるだけです。
「三人娘」(中尾ミエ、園まり、伊東ゆかり)が主役、三橋達也、藤田まこと等が共演です。
三人娘は当時のアイドルなのですが、クレージー的な前作の華やかさに比べると個人的にはイマイチかなーという感じです。

前作も今作も面白いのは役者の名前をそのまま使っているところがあるのです。
植木さん、松村(達雄)さんとか、すぎむらとか、三橋さんとか。
見る人にわかりやすくしたのでしょうか?

オープニング(クレジット)のシーンで、空から都心を映しています。
ちょうど東京オリンピックの年で首都高も整備され、この頃の映画ではこのように近代的に変わった東京を誇らしげに映すことが多いです。

東京タワーが一際高く、美しい景色だと思います。

実はこの頃はビルの高さに31m規制というのがあって、高層ビルは建てられなかったのです。31mというと8階~9階、高いビルでもせいぜいそれくらいの高さだったのです。
この規制が外れて最初にできた超高層ビルが昭和42年(1967年)の霞ヶ関ビルです。

あと、この年1964年の4月にオリンピックの開催を機に海外渡航が自由化されています。今では信じられないことですがそれまでは、民間人が「観光旅行」として外国に行くことはできなかったのです。

こんなことも踏まえて観ると、当時の人の価値観がつかめるかもしれません。

(Hatena::Diaryより転載)