迫りくる高齢化社会、お年寄りへの親切を考える

昨日ビールなんかを買いに近くのスーパーに行って戻ってきたらマンションの前に手提げ袋が放置してあって、誰のだろう?って思ってたたら道の反対側からおばあちゃんがやってきました。

あーおばあちゃんのかって理解して部屋に戻ろうとしたら彼女僕に話しかけてるんです。歯が少なくなっちゃって聞き取りにくいのだけど、

「このマンションの3階に住んでるのだけど、駅に行きたいのでタクシー呼んでくれ」というような内容。確かに見覚えのある方なので京王タクシーに電話して配車してもらいました。乗せるまで見送ろうと待っている間に「あなたにいくら払えばいい」なんて聞くから、そんなのいいですよって会話

一旦戻って、今度はクリーニング屋に行って帰ってきたら電話が鳴ってて(近くなので電話持たずに外出)出ると、先程のタクシー会社からで「H林さんですか?」と。H林はタクシー呼ぶ時おばあちゃんが名乗った名前です。

それで、僕はH林じゃないんだけどその名前でさっき配車してもらいましたよと回答、するとおばあちゃん駅までいったらお金持ってなくて引き返してそのままマンションの部屋に帰って行ってしまったみたい。仕方ないから代金は僕が建て替えますからってまた玄関でタクシー待ち。

向かいのおうちで休んでたにゃんこ

タクシーの運転手さんに謝って、数カ所蚊に刺されて無駄な親切が終了しました。おばあちゃん惚けてるのかな?乗せてはいけなかったのかな?まあ、家族の方に聞いてみましょう。


夜になって一階下のH林さんの所に行きました、よく考えてみたらここのお宅僕が犬の鳴き声がうるさいってクレームつけてたとこでした(関係は悪くない)。ご主人に事情話したところ、タクシー代と丁寧なお詫びの言葉をいただきました。やはり93歳なのでちょっと惚けてて普段は部屋を出ないんだけど今日はタクシーに乗せてもらったと話してたとのこと。

乗せないほうが良かったですかね?と聞いたら、いやそんなことなです。というので一応安堵しました。高齢化が加速するとこんなこともよく起こるだろうからケーススタディとして記憶しておきましょう。なにより近所の人のこともっと知らないとだめかな。


話変わって、ゴーヤが収穫時期です。今年は売ってるのほどじゃないけどわりと大きい実が成ってます。というのもすごく単純なミスをこれまでしてて、二種類以上の種を使ってたんです。「大願寿」と「あばし」とか、それで交配して雑種の小さい実になってしまったのではないかと。

今年のゴーヤ

Lunes,treinta y uno de julio de 2017