格差、身分

前にも書いたのですが、格差と身分だどうも混同されている気がします。現在ある格差はそもそも本人に由来する問題だと思います。就職しない、そのための教育も受けない(ニート)、大学を出ているのに正社員にならず働いている(フリーター)、自分の選んだ結果として収入が低いのはいたしかたないことです。
かくいう私も中小(零細)企業で働いているので、働きがいは別として収入は満足できるものではありません。大企業の給与水準なんかを見ると、劣等感や憧れよりも、自分に罪悪感を感じます。すべき努力を怠ったから川を渡り損なったのかなと。
もちろん分相応の生き方があるから、そこを納得すればよいのですが。

今、いわれているのは、格差の中で低所得の人間の子供は質の高い教育が受けられず、低学歴になり世代に渡り格差が続くということです。
しかし、政治家やパロマ、不二家のような会社をみても、一度得た権益を子孫に遺すのは世のならいです。
そもそも、「身分」ってものがその権益の世襲を保証していました。いま日本では法律上(タテマエ)天皇家だけに残っています。

不二家では、創業家の藤井一族が経営を支配し、現代にいたるまで工場の社員を「職人」と呼んでいたそうです。職人といわれてどう思うかは個人の感覚ですが、そうなんでしょう?
これが明治時代ぐらいだと、旦那と使用人はちがう身分ですから、旦那のために一生懸命に働くそれが自分を全うするというような倫理も存在したのです。実際戦後まで、書生、給仕、女中というものが存在しました。

タテマエ上は、アメリカ的に、誰もが競争のスタートにつける社会ではあります。しかし実は全然違います。
格差社会の是正には世襲を控えることが一番(禁止じゃないですよ)、政治家から範を示せば良いと思うのですが。

(Hatena::Diaryより転載)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です