いじめ、いじめられ

僕は小学生の低学年の頃まで、体が弱く、おとなしい子供でした。あまり信じてもらえませんが。四年生の時に扁桃腺を切ってから、うそのように健康になり、針が振れすぎて肥満児になりました。活発にもなりました。ちょうど世田谷から千葉に引っ越したあたりで、転校を機に違う子供のようになっていました。

千葉の小学校で五、六年と担任だったのが小川先生いって、当時二十代後半だったのかな?独身のスポーツ好きの先生でした。僕の名前はこのブログの名前の「武一郎」(たけいちろう)というのですが、その先生は僕のことを「ぶいちろう」と呼んでいました。
多少体が強くなったといっても、元来運動神経が鈍く肥満児でしたから、子供的には劣等生です。勉強の成績も良くはなかったし。
そんな子供を、本名と違う呼び方をするんだから、本人と先生の関係如何ではいじめと言っても良かったかもしれません。
ところが、小川先生は時にはちゃかして、時には意地悪く、時には愛情を持ってそう呼んでくれていました。本人も「ぶいちろ」なんてサインを造って練習していました。

さて、今の時代の話ですが、先生が生徒にいじめをして自殺した事件が問題になっています。先生にも当然非があるのでしょうが、全くいじめだけを考えてやっていたわけじゃないと思うのですよね。
その子には悪いけど、ある子をちゃかした事で、他の子供に受けたとか。

ここから先に書くことは主に親の役目だと思うのですが、からかわれて笑われる子がいたとして、その子が笑われないような教育を求めたり、笑われないようにしつけるのが良いのでしょうか?
ある個性が、それがコンプレックスだとしても、それを伸ばす事で他人とは違う才能を発展させることもありえます。いやむしろ天才といわれる人は尋常じゃないのですから。

世の中が多様化して、価値観もとても多くあるのに、なんで子供が狭い所に閉じ込められてしまうのでしょう?

うまく書けないけど、なんか弱すぎますよね、なにもかも。

(Hatena::Diaryより転載)

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