天皇制について その2(明治とは)

この、皇室の問題でくだらないのが、染色体のお話し。そんなことはいいのです。何故ならそんな事を知らない人達が続けてきた伝統だから。今、結果的にそれがわかったとしてもこの場の説得材料にすべきではありません。あくまで外野である学者などの評論材料にすべきです。

さて、Chikirinさんがふれてくれましたが、皇室(朝廷)が今後、どんな時に必要になるでしょう。
では、過去には?

・天皇親政
・天皇を格とした政権(摂関、上皇)
・武家政権(1)、源氏=征夷大将軍
・武家政権(2)、北条=執権
・天皇親政を企む(後醍醐天皇)
・武家政権(3)、豊臣=関白
・武家政権(4)、徳川=征夷大将軍

体制がさまざまに変わっても、為政者を朝廷が任命する形(太字)だけは続いてきているのです。(ちなみに、平安時代や南北朝の前後はめんどくさいので少しはぶいてます。)

さて、明治時代は
・天皇を巻き込んだ軍事政権
つまり、天皇を中心とした勢力がつくりあげた政権でなく。ある時天皇を巻き込んだ政権なのです。

司馬史観というものがあります。司馬遼太郎の考え方で、すごく簡単に書くと、
「明治維新は素晴らしい、開国から日露戦争までの日本人は非常に高く評価できる、ただしそれ以降一時慢心し、昭和になってからの十数年間、日本人はおかしくなり、あの愚かな戦争に突入した」
というものです。
後半はさておき、明治を高く評価しています。彼の作品でもそれは顕著です。

ところが、明治維新を考えると、政権的にはただ徳川を廃し(それでも家は残した)、薩摩、長州、土佐の下級侍と公家の一部が天皇を巻き込んだあらたな政権を作ったにすぎません。決して天皇親政には戻っていません。

そこに、泥縄的に国家神道を造りあげました。靖国神社というまるで伝統のない神社はその産物です。

天皇家がかってから望んでいたものではなく、まるで新しいもの(過去の京都の朝廷にはないもの)に座らせ、しかもそれは徳川を追い出した居城で、そこに朝廷の作法を組み合わせそれらしくしたのが明治の天皇家です。

非常に荒っぽいですが、明治とはこうだと私は思います。

(Hatena::Diaryより転載)

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